【第27話】癌の切除手術より2ヶ月弱。ついに退院の時。

【第27話】癌の切除手術より2ヶ月弱。ついに退院の時。
   

おはようございます。kazuです。

今朝は少し寒いですねぇ・・・昨日はあったかかったのに。

細かい寒暖差が体調を揺さぶりに来てますね。

それでは前回の続きです。

退院の宣告

それは割と突然でした。

前回(26話)で書いた「自力で立ち上がる」リハビリをやり始めて5日ほどが経過した時主治医から告げられたのは

「来週退院にしようか」ということ。

かなりびっくりしました。

最初の説明では「入院は3ヶ月ほどかかる」と言われていたので。この宣告の時点ではまだ1ヶ月半程度でしたからね。予定の半分程度でした。

しかも自分の感覚ではまだまだ自分にはリハビリが必要なように感じていましたしね。

退院が決定した主な理由としては

・傷口に関しても癌に関しても術後の経過が超良好なこと

・リハビリが順調に進んでいること

そして1番大きな理由が

・年末年始の一時退院6日間を、何事もなく過ごせたこと

これが決定打のようでした。要するに「自宅でも過ごせるじゃん」ってことですな。

ちなみにこの時の主治医の一言がなかなか強烈で、「病院内で一番元気」と言われました(笑)

確かにめっちゃ元気でしたからね私。

しかし人間とは不思議なもので、あれだけ「退院の日」を夢見てリハビリを頑張ってきたのに、いざ「退院」と言われるとめっちゃ不安になります。

新しいバイトを始めて、トレーニングをしてもらってる時に「じゃあ明日から1人でやってみよう」と言われた時の不安感に似た感情でした。

よく言われる「入院生活が長いと退院したくなくなる現象」でしょうか。知らず知らずのうちに「入院生活」に甘えが出ていたのかもしれませんね。

もう1つ大きな不安だったのが、「仕事」の問題です。

入院前の漠然とした考えでは、手術をして3か月入院後、少し自宅療養を経て仕事を探さないとなーくらいの感じでした。甘かったです。

この退院を告げられた時点では仕事をするなんてとんでもない。年内の社会復帰すらできるのか?というレベル。

実際それは正しく、この年は1年全く仕事をしていません。というよりとても仕事できる状態ではありませんでした。

装具をつけて杖をつき、ぎこちない歩きで椅子にも座れない。そんな人間が仕事の面接に来たらどう思いますかね?自分なら「いやいやいやいや、無理はしちゃいかんよ」と言うでしょう。そんな状態の1年でしたから。

少しいやらしい話をすれば、入院をしていれば保険で日額15000円が支払われます。月で言えば45万程度の非課税の収入です。

それが退院すれば当たり前ですが出なくなります。つまり入院していれば仕事をしていなくても収入があり、退院しても仕事ができない上に収入もなくなります。

こういう「病気の際のお金の問題」は切実で、今までも何回か記事を書いてますし今後も書くことになると思いますが、非常に大事です。

関連記事→「保険のお話」「ブログを書く理由」

しかし残念ながら病院とは「病気を治す所」であって「患者の生活を守る所」ではないのです(当たり前ですが)

医師の判断で入院が必要でないとなれば、退院をするほかありません。

退院の準備

退院と決まった以上、準備に入らないといけません。

とは言っても、私の場合はそんなにあるわけではないのですが。

まずリハビリ。ここまでやってきたリハビリに加え、左足の膝の関節を動かすリハビリが追加されます。

装具による可動制限で股関節がほぼ動かせないと、必然的に膝もあまり動かさなくなります。

関節は長いこと動かさないと固まっていってしまうのでほぐしてあげる必要があります。

やり方はいたって簡単。うつ伏せに寝た状態で左足を右足で持ち上げるだけ。

膝関節は健康そのものなので自力で上げられそうなものですが、そこはなかなかうまくいかないのが身体の構造でして、左足だけでやるとダラーンとなります。しかも膝を曲げるにも腿のあたりの筋肉(手術で切ってしまったあたり)を使うようなのでうまくいかず、最悪つります。こむら返りってやつです。

ここまで1か月半、ほとんど動かしていなかった膝は、思うように曲がってくれません。最初は90°曲げるだけでも相当痛みが出ました。

生来より身体の硬い私は非常に難しいリハビリとなりましたが、退院後も毎日欠かさずやるようにとの事。うーん・・・

看護師さんにご挨拶

退院が決まったことは看護師さんはもちろん皆様ご存知ですが、入院期間中大変お世話になった皆様にはきちんと挨拶をしないといけません。

退院後も通院は続くのですが、それはあくまで外来であり病棟の看護師さんに会う機会はなくなりますから。

以前も書きましたが、静岡がんセンターの看護師さんは非常にレベルが高くもの凄く助けられました。

次に会うとしたら、また私に何かあって入院をする時です。寂しいですがそれは嫌だ。

私はふらふらと病室から出ることがありませんでしたので、その日の担当看護師さん以外には基本的に会うことがありません。

ですので退院決定後はその日その日の担当さんにお別れのご挨拶をしました。

荷物の準備

入院生活が長いと荷物の量もかなりのものです。

一時退院で全て持ち帰りはしたのですが、本退院がこんなに早いとは思ってもいなかったため再入院の時にまた全部持ってきていました。

荷造り自体は妻がやってくれるのですが、手の届く範囲内の片付けは自分でします。床頭台の引き出しの中とかね。

最終的にまとめた荷物は、2週間の出張に行くほどの量になりました。

ついに・・・

退院の日がきます。

朝の回診の時に、「本日退院となります」と主治医から他の医師に説明があると一気に実感が沸きました。

前日のリハビリの際に、リハビリの先生にはお礼の挨拶を済ませたのですが「明日一番で呼びますから、最後にリハビリしてから退院しましょ」と言われました。

そして約束通り朝一番で呼ばれ、最後のリハビリを済ませました。

いつもはリハビリが終わると病棟の看護師さんや助手さんが車椅子で「お迎え」に来てくれるのですが、この日は「リハビリはこれで終わりなので病室に戻ってください」と言われました。

「あれ?お迎えは?」と聞くと、「今日は退院ですから。退院するとお迎えは来ません。これからも頑張ってください」と励ましのお言葉をいただきました。まるで卒業のように。

手術後、初めて自分の足でリハビリ室から病室に戻りました。そんなに大した距離ではないのですがこれがなかなかに大変で、これからの生活に不安を感じながらも「最初はストレッチャーで移動だったのが、自分の足で行けた」という自信にもなりました。なんだかおかしいですが。

病院を後に

ほどなくして妻が迎えに来てくれて、清算を済ませナースステーションにご挨拶。「公務員」ということから受け取ってくれなかった菓子折りを半ば無理矢理置いて病院を後にします。

すごく長かったような気もするし、短かったような気もします。

間違いなく人生で一番辛い期間でした。

先のことを思い不安になることもありました。

しかしそれでも大半を笑って過ごしたのは、病気に負けてしまうのが嫌だったから。

手術の後遺症により、多くのことができなくなりました。「人とは違う」、つまり障害者となりました。

それでも「今の自分にできること」を必死で探しました。「自分にはできないこと」を探し始めてしまえばきっと、空の青ささえも、届かないもどかしさに泣いてしまいそうだったから。

入院生活を振り返り、1つだけ確かなこと。それは「有意義な経験」であったこと。

「良い経験」ではありませんが、間違いなく「意義のある体験」でした。

色々なことを考え、色々なことを知りました。きっと何十年後かに私が死ぬ時、自分の人生を振り返ったら、外すことのできない経験となったと思います。

その時にそれが、「あの時癌で入院したせいで・・・」ではなく「あの時癌で入院したおかげで・・・」と笑って語れるような人生にしたい。

今後の人生の目標はそれだけです。そのために頑張ります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは、また。

 
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