第26話 リハビリが最後の段階に突入。いよいよ・・・

第26話 リハビリが最後の段階に突入。いよいよ・・・
   

こんばんわ、kazuです。

何日か前の話になりますが、俳優の坂口憲二さんが「特発性大腿骨頭壊死症」にかかり俳優業を休止というニュースが流れましたね。

「大腿骨頭」とは、足の付け根から膝までの骨である「大腿骨」「頭」、すなわち骨盤と当たって「股関節」を形成している部分のことです。(海賊旗で使われる交差した骨も大腿骨だそうです)

その「大腿骨頭」が「壊死」しているという少し怖い病気ですね。

私の知人もその病気で最近手術をしており、有名人では「ケツメイシ」の「RYOJI」も同じ病気にかかったことが知られています。

原因は「お酒」や「ステロイド系の薬」と言われています。実際私の知人もステロイドを服用していました。

坂口憲二さんの症状などについては詳しくは報道されていないのでわかりませんが、手術をしたとのことでしたのでおそらくは「人工股関節」を入れたのだと思います。

「特発性大腿骨頭壊死症」は強い痛みを伴うそうです。その痛みを取り払うために壊死した部分を取り除き、金属でできた「人工股関節」を入れて股関節の動きを再現するということです。

股関節の受け側と稼働側の違いはあれど、私のしてきたリハビリに近いリハビリをしてきた、もしくはしている最中なのではないかと思います。

きっとかなり辛い経験をされたのではないでしょうか。

「池袋ウエストゲートパーク」は何回観直したかわからないくらい大好きな作品です。

しばらくは休業とのことですが、いつかまた俳優として活躍される日をお待ちしています。

リハビリも最終段階へ

さて、そんな股関節や骨盤のリハビリの話に戻ります。

装具が調整され股関節の可動域が広がったことで、より自然に近い歩行が可能になりました。

ロフストランドクラッチ杖の扱いにもだいぶ慣れてきました。脇と手の2点で安定させる松葉杖に比べ、ロフストランドクラッチ杖はほぼ手だけて安定させる必要があるため慣れるまではかなりグラつきます。慣れてしまうと逆に松葉杖の方が扱いにくくなるんですけどね。

そして次のステップに進む時がきました。

自力でベッドから降りる

これまではベッドから降りる時には人の手が必要でした。

1、まず寝転がった状態から装具を装着してもらう

2、ベッドのリクライニングを使い上体を起こす

3、足をベッドの横に運んでもらい、立ち上がる

という流れです。

主「それを今後はすべて自力で行う。しかもリクライニングもなしだ。」

全くできる自信などありませんでした。むしろどうやってやるん?

リハビリの先生曰く、私のような股関節周辺の病気や怪我の場合、この動作は必ず通る道らしく(おそらく坂口氏も)やり方は

1、健康な右足を左足の下に差し込む(仰向けで軽く両足を重ねている状態)

2、右足で左足を持ち上げ、腰のあたりを中心に90°回転しベッドの外側まで持っていく

3、ベッドから足を下ろす勢いで上体を起こし、そのまま立ち上がる

4、立った状態で装具を装着

おぉ!なるほど!できる気がしねぇ!

いや、言ってることはわかるんですよ。でも全くできる気がしないのはなぜだろう。

すれ違う2人(本)

私は手術後から、「左足を内側に入れるな(向けるな)」と言われていました。つまり内股のようにつま先を内側に向けてはいけないということです。

内側に入れると股関節が外れやすいとのことで、それだけは絶対に避けたかったため常に外向きになるようにされていたのです。

ギプスで固定した時も、装具の型取りをした時も。つまり装具ですら若干ガニ股気味に作られているわけです。

ガニ股になると、自然と足と足の間は開きますよね。つまり私の両足には手術をきっかけに絶妙な距離感が生まれていたのです。

その両足が2か月弱の時を経て、再び出会う。

右足「お待たせ。迎えに来たよ」

左足「迷惑かけてごめん。これからもよろしくね」

という具合に。いけばよかったのですが。

しばらく離れ離れで固定されていた私の両足は、なかなかその距離感を縮められません。

つまり足が閉じられない。出来ない、というよりは怖い。

それまでずっと「閉じるなよー閉じるなよー」と言われていたのが突然「よしっ!閉じろ!」と言われてもそりゃ無理って話ですわ。「えっ、いいの?本当にいいの?外れちゃわない?」ってなりますわ。

とりあえず、すぐのすぐには出来るようになりませんでした。

しかしこれは必ずマスターしなければいけない技術。なんせこれさえ出来れば、理論上は1人でなんでも出来るようになるわけですから。なんでもは言い過ぎか。

まぁ、このリハビリの良い点は自室で一人でも出来るということですね。失敗した時のリスクも特にありませんし。

ここからしばらくはこれの練習に勤しむことになります。

その頃の入院生活

入院生活にも少し変化が訪れました。

一時退院を大成功させた私は、「外出許可」が下りるようになります。

外出許可・・・なんて素晴らしい響きなんだ・・・

もちろん1人で「ちょっと出掛けてきまーす」というわけにはいきません。

土日などで妻が見舞いに来てくれた際に、妻を「介助者」として病院の外に出ることが許されるようになりました。

はじめてのがいしゅつ

「奥さん来る時なら外出てもいいよー」と主治医に告げられた後の最初の土曜日、当然外出許可を申請しました。もうウッキウキで。

そして妻が来てから着替えを済ませ、いざ外へ!

そして気付きました。

「どこへ行こうか。ってかどこなら行けるんだ?」

とりあえずどこかでご飯でも行こうか。

いやいや椅子に座れんよ。当時の私はせいぜい30°くらいしか上体を起こして座れないため、一般的な椅子に腰掛けるのは不可能でした。

じゃあ買い物でも。

いやそんなに歩けないし。コケたら怖いし。

結局「はじめてのがいしゅつ」は、マックで買ったハンバーガーを駐車場で食べるのみ。

車のシートはリクライニングするので座ってられますから。

なんとも悲しい外出になりましたが、その頃の私には贅沢過ぎるほどでした。

リハビリの際にちょっと外の空気を吸うだけで幸せだったのですから。

それに「回復に向かってる」ということをリアルに感じられましたしね。

こうして手術直後に比べ出来ることが格段に増えてきた私ですが、こうなってくると「ヤツ」が徐々に忍びよってきます。

そうなんです。「退院」がすぐ近くまで来ていました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは、また。

 
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